豊島岡女子学園中学校・高等学校
毎朝5分の運針

「創立120年以上の歴史ある女子校」「高い進学実績」など、豊島岡女子学園中学校・高等学校はさまざまに紹介されますが、同校の教育における“ぶれない支柱”として最も個性あふれる特色は、1948(昭和23)年から続く毎朝5分間の運針です。同校が女子裁縫専門学校だっただけでなく、生徒を成長させる大きな教育的効果があるからこそ始められた運針。今回は、その歴史から「運針って何?」という初歩的な疑問、さらにはそこにある生徒や先生の想いまで、豊島岡女子学園をより深く知るために欠かせない“運針”を徹底取材しました。

豊島岡女子学園の運針の歴史

「勤勉努力」の大切さを経験するために

1948(昭和23)年に同校が池袋に移転し、校名を豊島岡女子学園に変えた際に、のちの校長二木友吉先生が古い卒業生の話をヒントに取り入れたことが始まり。無心になり、基礎の大切さを知り、教育方針のひとつ「勤勉努力」の大切さを生徒に経験してほしいと考えたものだという。
白布に赤糸で縫うスタイルは70年近くずっと変わらず、朝の5分間の運針は豊島岡女子学園生を育てるための貴重な時間として存在し続けており、豊島岡の一能となっている。生徒にも何か一能を見つけて伸ばして欲しいという「一能専念」という教育方針にもつながっている。

講堂前のホワイエにあるショーケースには、昔の制服と校章の写真と解説、昭和初期の生徒たちの写真といった豊島岡女子学園の歴史のほか、クラブの活動の賞状やトロフィーなどがあり、その中に過去の年代ごとの「運針」も展示されている。昭和42年(396cm)、昭和51年(400cm)の運針の布と、平成28年の「運針競技会」の中学(421cm)、高校(502cm)の優勝者の布が並ぶ。
 

運針とは?

運針とは、表裏同じ針目に縫う手縫いの基本。和裁の基礎で、昔は自分で着る着物を自分で縫っていたので、まっすぐに綺麗な針目で縫っていくための基礎練習だった。
豊島岡女子学園の運針は、1メートルの白布に赤糸を使用。指ぬきを使った正しい針運びに始まり、綺麗な針目(理想は4ミリ~5ミリ)、全体の長さ、スピード、美しい姿勢や立ち居振る舞いなど総合的な完成度を目指す。基礎が大切なため、長さや縫い目に関係なく正しい手つきで縫えていない中学1年生は夏休み前に特訓を受けることも。上級生になるほど針目も整い、手元を見なくても縫えるようになる生徒が増える。

運針[右利きの場合]

① 親指の向きが一直線上に向かい合うようにして、左手の親指の真ん中を目指してまっすぐな針目になるように縫っていく。
② 最初は左右に手を離して縫い、右手が左手に追いついたら布を平らにならす(糸こき)。
③ 1メートルの布の左端までいくと、糸を抜いてまた同じところを右側から縫う。

※「運針記録会」では玉結びを作り、1本縫うと新しい針と糸で1センチ下を縫う。
※「運針リレー」では白布に線が入っていて、線に沿って縫っていく。

豊島岡女子学園 朝の運針REPORT

豊島岡女子学園生しか知らない
朝の学校を包む美しい静寂

平日の朝8時10分。豊島岡女子学園の高校1年生の教室ではHRが始まっていた。
担任の先生が大きな声で連絡事項などを告げ、1日が始まったばかりの生徒たちはまだまだ騒々しく落ち着きがないが、それはどこの学校にでもあるいたって普通の朝の光景。ただ、いつのまにか生徒たちの机の上には、小さな箱や袋と白い布が置かれていた。
8時15分。チャイムが鳴ると同時に、生徒たちは一斉に針を取り出して運針を始める。まるで「テスト開始」と言われた瞬間、問題用紙を表にして脇目もふらずに問題用紙に向かうときの1分1秒を争うような緊張感だ。さっきまでざわついていたはずの生徒たちは、姿勢よく黙々と(どちらかといえば恐いぐらいの真剣な表情で)針を進めていく。向き合う左右の手をすばやく上下させ、たまった布をシュッとならすと、まっすぐな赤い縫い目が綺麗に浮かび上がる。しかし、布の端まで縫い終わると無残にもその赤糸は引き抜かれ、もう一度片端から針を刺していく。
布をならす糸こきの音だけがかすかに響く、朝の学校を包む美しい静寂。豊島岡女子学園生しか刻めない5分間は、その無心な姿に少しうらやましさを感じる時間だった。

家庭科 長谷川 綾先生 インタビュー

困難にぶつかった時に自分でそれを乗り越える力や、自分で工夫して考える力が運針で養われていると思います。
そうやって考えることは日々の成長につながっていきますし、それこそ生きる力です。

昨日よりも今日、今日よりも明日
まずは正しく縫えるように

――朝の運針は、5分間に集中して縫えばいいというわけではないんですね。最初はどのような指導をされるのですか。

長谷川先生 運針は、まず指ぬきを使って針を正しく運べるようになることが基本です。毎朝の運針を見ているホームルームの担任には正しい手つきがわからない方もいますから、中1を担当する家庭科教員が毎回授業の最初の10分程度を運針の練習に使って、1学期をかけてしっかり身につけさせています。指ぬきに慣れるまでの中学1年生は、2センチくらいの針目でざくざく縫っている子もたくさんいますが、それでもいいと言っています。

――今日は高校1年生の朝の運針を取材させていただいたのですが、とてもすばやい動きで、とても姿勢よく縫っていました。

長谷川先生 そうですね。左右の手を上下にバランスよく動かすことが必要なので、椅子を少し後ろに下げて、猫背になったり机に肘をついたりしないように注意しています。足先まで美しい姿勢で向かうことはなかなか難しいのですが、美しい姿勢を日々意識していると、無意識でもできるようになりますし、立ち居振る舞いも美しくなります。

生徒部 学園生活指導委員会 主任・家庭科 主任
長谷川 綾先生

――やはり人によって得意や不得意があるかと思いますが。

長谷川先生 勉強と違うのは一夜漬けが効かないことです。「最初から上手な人ばかりではないから、人と比較しないように」言っていますが、静かな中で糸こきの音や、最後までいって糸を抜く周りの動作がどうしても気になるようです。
私も卒業生なので「先生も指ぬきが使えて運針がつかめたと思ったのは7月くらい。みんなも焦らずに自分と戦いながら、昨日よりも今日、今日よりも明日と思ってじっくりやりなさい」と自分の体験を交えて、まずは正しく縫えるように声をかけています。

――指ぬきを使って正しく縫えるようになると、次の目標は何ですか。

長谷川先生 指ぬきの次は針目に気をつけていきます。指先から見えている針の長さが針目の大きさになるのですが、最初無駄な力が入って針先が持てず、どうしても大きな針目になってしまいますが、慣れてくると程よく力が抜けて針目の大きさをコントロールできるようになります。針目がある程度安定してきたら、最後がスピードです。

――やはり学年が上がるごとに上達していきますか。

長谷川先生 そうですね。中学1年生で3メートル縫う生徒がいたりもしますが、学年が上になるほど針目が綺麗な生徒はやはり増えてきます。
中学2年生になると、毎学期の最初の家庭科の授業で5分間の記録を取ります。そうすると自分たちでも「これくらい縫えるようになったんだ」と確認もできて励みになります。
毎年9月には「全校運針記録会」があります。普段は端までいくと糸を抜いて同じところを何度も縫うのですが、記録会では玉結びを作って1本縫ったら新しい針と糸で1センチ下を縫い、布に何本も縫い目が残っていくという形で記録を残します。
記録会で長い記録を出した生徒から、中学生は各クラス2名、高校生は各クラス1名、クラスの代表として11月の文化祭で行われる「運針競技会」に出場します。競技会は、速さと長さと針目を見ますから、一番長く縫えていても針目が乱れていれば1位にはなれません。そこでは普段使っている布とは違う糊がきいた真新しい布を使いますが、硬くて縫いづらいことを知っている上級生は揉んで柔らかくします。「先輩たちは何をしているの?」と思って見ていた中学1年生は競技が始まってその意味を理解します。毎年見られるそんな場面も伝統ですね(笑)。

基礎力が必要な学業でも生かされる
運針で知る基礎の大切さ

――運針の意味を先生はどのように感じられますか。

長谷川先生 基礎の大切さを体得するために運針が始まったわけですが、最初は10センチ程しか縫えなかった生徒が卒業する頃には2~3メートルくらい縫えるようになり、毎朝のたった5分の積み重ねが大きな成果を生むことを知ります。これは勉強にも同じことがいえ、試験前にまとめて勉強するのではなく、毎日コツコツやっていけば自然と実力となって表れます。
勉強は形としてわかりにくいところもありますが、今日習ったことを復習するとか、ためすぎないで少しずつ勉強すればそれほど苦労しなくても力がついていくことを、運針をやっている生徒たちはわかっています。日々の授業が基礎であり、それを積み重ねることの大切さを運針に例えて話すとすごく納得してくれますね。

――基礎の大切さを知っているからこそ、努力を積み重ねられるわけですね。毎日の運針だけでなく、「運針記録会」や「運針競技会」を行うことも重要ですか。

長谷川先生 運針はこの学校の顔でもあり、毎日の日課でもあるので、そこに活躍できる場があるのも生徒にとっては励みになるのかなと思います。
「運針競技会」に出場するクラスの代表は、文化祭の花形で、すごく注目されるんです。見学の方も多い中で、「うわー、早い」「あの子、すごい!」などと言う声を聞きながら縫うので、誇りを持って出ていると思いますね。そういう場があるのも毎日の積み重ねの結果であり、みんなに称賛されることで自信にもつながっていくと思うので、教育的な活動としては今後も続けていきたいです。
また、「運針競技会」以外の伝統的なイベントを作りたいという声から、3人1チームでやる「運針リレー」も、10年以上前から文化祭の2日目に行っています。クラブの仲間同士や教員を交えたチーム、男性教員だけのチームなどいろいろな形で出場可能で、3メートルの布を1人1メートルずつリレー形式で縫っていきます。布を1メートル縫って平らにして針を針山に刺したら次の人が2メートル目を縫っていくというルールで、途中で他の人が布に触ると反則。3メートルが終わって針を刺し終わり「終わりました」と言ったところでストップウォッチが止まります。ただ、タイムだけで競うのではなく、針目の乱れで秒数が加算されていくので、一番早く終わったチームが1位になるとは限りません。盛り上がりますよ(笑)。

運針リレー競技会の様子

――お話を聞いていると、毎朝運針をやっているというだけでは片付けられない奥深さがありますね。家庭科教員として特に運針に関わられる機会が多いだけに、その意味を実感されることも多いのでは?

長谷川先生 生徒たちは学校を卒業した後の人生の方が長いわけですが、何か困難にぶつかった時に自分でそれを乗り越える力や、自分で工夫して考える力が運針で養われていると思います。そうやって考えることは日々の成長につながっていきますし、それこそ生きる力です。
私が卒業生に言われてすごく嬉しかったのが、「何事にも無理と思わないで挑戦してみようと思えるようになりました」という言葉です。中学生の頃は運針や家庭科の授業で初めてやる作業が結構あり、大変でしたが、達成感を味わえた経験から、「できないからやらない」「できないかもしれないからやらない」ではなく、「やったらできるかもしれない」という気持ちにさせてくれたのが豊島岡の生活だったと言ってくれました。
運針への取り組み方は、何となく運針をやっている生徒もいれば、その日その日の目標を決めてやっている生徒までそれぞれなのですが、どこかで「運針やっていてよかったな」と思う時が絶対あると思います。それがいつになるかはわかりませんが、無駄なことは何もありません。生徒が社会に出た時にどこかで必ず役に立つと信じています。

高校1年生 生徒インタビュー

運針で「ここまで縫えるように頑張ろう」と小さな目標を設定して達成できたことを、勉強面でも「もう少し頑張ろう」とか「小さな目標でも達成しよう」と生かすことができます。(佐々木さん)

5分間を毎日続けることで運針が上達したように、もっと短い時間でも毎日続けることで変わっていくということを、この3年間で理解しました。(中村さん)

気持ちのスイッチの切り替えができる朝の運針
自分にとってとても大切な時間

中村さん[高校1年]

佐々木さん[高校1年]

――2人は中学生のときから毎朝運針をしているわけですが、最初はどのような印象でしたか。

中村さん 運針は指ぬきを中指にはめてやるのですが、小学校で裁縫をやったときは指ぬきを使ったことがなかったんです。それをはめて縫うだけの単純なことなのに、最初は長さも縫えず、縫い目もバラバラで、すごく大変でした。もともと裁縫が得意ではなかったので、少し苦手意識もありました。

佐々木さん 私は小学校の頃に少しだけ裁縫をやっていたのですが、針を通したら糸を引っ張り、また針を通して糸を引っ張るという縫い方だったので、連続して縫う運針という縫い方は初めてだったんですね。それで「きっと周りはできるんだろうな、自分だけできないのは恥ずかしい」と思って、入学式から始業式までに家で練習しました。あらかじめやっておいたおかげで、比較的スムーズにスタートはできた気がしますが、やはり縫い目はバラバラで、中1の最初に先輩が指導に来てくださるのですが、先輩に言われた通りにできなくて手こずった記憶があります。1か月ぐらい経てば、だんだんコツがつかめてきました。

――苦手意識があった中村さんが、成長できたと思えたのはいつ頃でしょう?

中村さん 正確には覚えていませんが、中1のときは1メートル縫えるか縫えないかでしたが、今はその2倍、3倍といった長さを縫えて、縫い目も揃うようになってきました。また、毎年ある運針記録会で去年より長く縫えた時も成長できたと感じます。

――佐々木さんも続けることの大切さを実感しますか。

佐々木さん はい。やはり1メートルを縫い終わるとまたスタートに戻るので、1メートルや2メートルが大きなボーダーラインなんです。私が初めて1メートルを超えたのが、中2の1学期の途中ぐらいで、「あ! 1メートルいけた。次が縫える!」という嬉しさがあったのは確かです。今は、2メートル縫えるようになり、3メートルを目指しています。

――朝の5分間の運針の時間は、自分にとってどんな時間ですか。

中村さん 私にとっては、授業に入る前のスイッチのような感じです。やはり朝は気分があがらないまま授業が始まってしまいがちですが、運針があることで授業に入るための切り替えができるんです。あと、毎日運針を続けることでどんどん上達していくことは、勉強面でも同じだと思えます。日々の努力を重ねれば勉強も上達すると思うので、その意味でも運針をやってきて良かったと思います。

佐々木さん 私も中村さんと同じように、努力を積み重ねれば何メートルも縫えるようになるということが勉強にも通じているなと思います。運針で「ここまで縫えるように頑張ろう」と小さな目標を設定して達成できたことを、勉強面でも「もう少し頑張ろう」とか「小さな目標でも達成しよう」と生かすことができます。コツコツ積み重ねることの大切さが、運針の時間で培われたかなと思います。

難しかった指ぬきを使って縫うことも今ではスムーズに。あっという間に縫い進めていく2人。

――実感があるんですね。学校中が静かになる運針の5分間ですが、やはり無心状態なのですか。

中村さん そうですね。私は毎日「少しでも長く縫ってみよう。今日は何メートル縫えるだろう」と、ひたすら縫うことに集中しているので、まさに無心で他のことは全く考えていないことが多いです。

佐々木さん 私は、最初はいろいろ考えてしまいます。例えばテスト返却がある日なら、「点数が悪いかも…」とか、「昨日、親とけんかしちゃったな」とか(笑)。でも、学校中が静かで、周りのみんなも集中しているから、「自分も集中しないと!」と気づけて、気持ちのスイッチの切り替えができるんです。自分にとってはとても大切な時間になっています。

どの場面でも基礎や集中することが大事
それを運針で教えてもらった

――毎朝の5分間の運針を続けることで、「5分」という時間感覚が身につき、その貴重さに気付くこともあるのではないかと長谷川先生はおっしゃっていますが、そういう実感はありますか。

佐々木さん 確かにやり忘れていた宿題とか、急いでやらなくてはいけないことに対して、たとえ短い時間しかなくても集中すればできるんだと思えるようになりました。5分を意識したことはないですが、5分の密度は豊島岡に入る前よりも、入った後の方がずっと濃くなっています。運針によって短い時間に集中する力が養われたと感じますね。

中村さん 私は無心になっているせいか運針の5分が短いという感覚はないのですが、5分間を毎日続けることで運針が上達したように、もっと短い時間でも毎日続けることで変わっていくということをこの3年間で理解しました。だから、たとえ隙間のような短い時間でも、無駄にしないようにしたいと思うようになったと思います。

――自分たちの肌で感じるのが大切ですね。運針は基礎が大事とのことですが、それが自分たちの生活に影響しているところはありますか。

佐々木さん 中1の頃に全くできていなかった運針を、今では何メートルも縫えるようになったのは、指ぬきを使った運針の基礎を中1の頃にしっかりと学んだからだと思うんです。運針と直接結びつけていたわけではありませんが、私は演劇部に所属していて、演劇も基本の声出しなどがすごく大切で、基礎をやっていないと何事もうまくいかないことはとても実感するところです。クラブで後輩を指導するときも、基礎が大切だとは厳しく指導しますし、いろいろなところに浸透しているのかもしれません

中村さん 私も部活の話になってしまうのですが、吹奏楽部に所属していて、部活でも基礎の練習が大事だと言われるんですね。基礎の練習をきちんとしないと、文化祭などどの発表の場面でもうまく演奏することはできない。それは運針にも通じるし、どの場面でも基礎や集中することが大事ということを運針で教えてもらったと思います。

――卒業生でも運針を自分を落ち着けることに生かす方が多いようですが、2人は今後の自分に生かせそうなことはありますか。

佐々木さん 受験前は精神的に不安定になると思いますから、そんなときにやってみるのもいいかもしれないなと思います。社会人になって多忙になる中でも、運針を通して身についた集中力を発揮して何事にも取り組んでいきたいですね。卒業しても日常生活のいろいろなところで生かせそうな気がします。

中村さん 運針はただ縫うだけではなく、集中力をつけ、日々の積み重ねや基礎の大切さを教えてくれるので、中高で運針をやってきたことは卒業してからきっと何らか違いになって出てくると思います。以前、卒業生の先輩が「運針で5分間で5メートル縫えるということは社会に出たときに一つの個性になる」とおっしゃっていたので、そういう面でも生きるかなと思います。

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