芝中学校・芝高等学校 武藤道郎先生
私の教育 私学の子育て

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芝中学校・芝高等学校 / 校長:武藤道郎先生
東京都港区にある芝中学校、芝高等学校の第15代校長。これまで同校の生徒会、生活指導、入試委員などを担当してきたほか、入試広報部長、副校長を歴任。芝ののびやかな校風と自由な発想を体現してきた名物先生。
男子が男子を育てる
中学1、2年の男の子は、女の子より成長が2年ぐらい遅いです。だから、やっぱり男子校がいいですね。芝には1学年300人いるので、こだわりが強い子、神経質な子など、いろんな子がそろっています。小学生に話をするときは、「芝に来ると300人もいるから、君たちが知らないタイプの子もいっぱいいるよ。でも、出会ったことがことがない子ほど気が合うかもしれないよ」と話します。300人の男子の中に身を置くというのはそういうことで、みんな違って、みんないい300人がいます。男子校の魅力は「男子が男子を育てる」ということです。
折れない心を作る
芝が子供たちを育てるうえで大事にしているのは、「折れない心」を作ること。世界に通用するとか、グローバルな視点を持つとか、有名な大学に進学するとか、立派な社会人になるとか、そんなことよりもずっと大事です。 今、僕が生徒たちによく言っているのは、「高みを目指して研鑽を積め」ということです。「研鑽」とは、経験を積んでいくことと同時に、自分の考え方を研究して高めていくことで、もう一歩上に挑戦するわけですから、なかなか難しいのです。ようするに、自分がアクティブに動けば動くほど、自分の頭で考えれば考えるほど、壁にぶつかることが増えるわけで、その時に「折れない心」を持っていないと自分が壊れてしまいます。その「折れない心」を持ち、鍛えるのに中学高校時代は一番いい時なんですね。その時代に何も鍛えないで無難に大学生になったり、大人になったりしたら、実際に心が折れたときになかなか復活できません。社会は案外、そういう部分では冷たいです。でも、「折れない心」を持っていること、心を鍛えた時代を過ごした学校や仲間がいることが支えになります。支えは何本あってもいいものです。
楽しくなければ学校じゃない
芝らしさのひとつは“楽しくなければ学校じゃない”ということ。ルールを守らなかったときに叱られるのも楽しさの裏返しです。ちゃんと叱ってもらえないと楽しくないんです。だから楽しい学校とは、自由勝手にやらせる学校ではなくて、正しいことと正しくないことをちゃんと教える学校です。 ただ、今の親御さんが私学に入学させた子供にどういう期待を持っているかというと、有名大学に行って、良いところに就職して、ある程度の収入が持てて、ということをまずは望んでいます。でも、それは当たり前のことです。本当はそれよりも、せめてそのこと+αで心や体を鍛え、仲間とか生き方を考え、何が正しいか正しくないかに悩み、頭でだけ知っていることをちゃんと経験させること。物事が最短と思える直線的に進むことを一番に考える大人があまりにも多い中で、わざと遠回りさせてやることが大切なんです。子供たちの今の年齢だから遠回りができるわけですから、ちょっと苦しいことも、面倒なこともきちんとさせてやったらいいと思うんですよね。
目指すのは一番ではない。一番の人生
こんな考えだから芝は、他の学校からみると一風変わったように見られてしまうのかもしれません(笑)。でも、前校長も人間教育「芝」とずっと言ってきましたし、やはりそういうことができる学校が「芝」であり、芝の建学の精神そのものではないかと思っています。 もちろん芝は、そういう学校だとちゃんと広報をしています。東大に入れますとか、合格率が伸びていますとか、そういうことは言いません。何が何でも息子を東大に入れたいなら東大が近道の学校を選んだ方がいいわけですから。 芝が他の学校に負けないのは、日本の学校の中で最も一等地にあるところです(笑)。だけど、生徒が目指すのは一番ではない。もちろん一番になる子もいますよ。でも一番にならなくてもいいんです。それよりも究極の目標は、子供たちにとって一番の人生です。将来自分で家族を持ったときに、自分の家族を守れて、子供から「うちのパパは一番だよ」「うちのパパはすごいよ」と言われたら最高ですよね。そのためにもこの6年間は大切な時なんです。ママから見てもステキないい男になりますよ(笑)。

私たちは男の子を育てるプロ
こうした芝の教育に対して「そんな教育をやっていて良いのですか」と言われる保護者もいます。しかし、私たちは男の子を育てるプロです。学校として預かっている子供に対して責任を持つ必要があります。芝の教員たちは教育の幅を広げて男の子を育ててきた経験があります。ですから、芝の教育内容に対して「それで良いのか」と言われたら、「それが芝の考え方です」と答えます。 教育の幅を広げるとは、子供を大人として扱い責任を持たせて、子供の自覚の中でいろいろ考え、やらせることです。幅を広げると、最低限のルールから派生するところは子供たちが自分たちで解釈をしないといけない。その解釈が個人であり、グループであり、常に公平にしかも正しい方向に導くことができたとすれば、事例やレベルはいろいろあるにせよ、大人の階段を少しずつ登って行っていることになるのではと思います。
子供たちは、先生の人間力に惚れる
教育の幅を、教員はどんどん広げてやらないといけない。でも、教員たちもどこまで幅を広げていけばいいのか怖いと思うんです。それでも高みを目指してチャレンジする教員の「やりたい」「やらせたい」という気持ちを大切にして、授業も行事も提案を積極的に採用しています。 僕が考えているこれからの芝の教師集団は、これまで以上に研修と研鑽を積んでいかなければいけないんです。たとえば、担当教科の指導力を上げるための研修や学問研究、担当教科を英語でやりたいから英語の学校に通いたいやコーチングの技術研修に行きたいなどと言うならば、「行ってこい」と行かせます。そういうことで教員としての幅だけでなく、人としての幅が広がるんですよね。結局子供たちは、先生の人間力(その先生のすべて)に惚れるんです。 教員自身が、グレードアップできるように努力する。これはすごく大事な感覚だと思っています。その意味では教員の貪欲さや質が大切で、自分は三度の飯よりも学校が好きとか、自分は三度の飯より子供と関わることが好きと思えることが重要です。だから教育業界にAIが入ってきても、教員の代理だけは無理だと思いますね。やっぱり教員は人とのふれあいを大切にしないと務まりません。指導力はあとからついてくるんです(笑)。
チョーク&トークが一番の基本で大事なこと
今、アクティブラーニングだ、ICTだと、いろいろやっていますよね。反旗を翻したいわけではないですが、僕はそれよりも教師がチョーク(黒板の使い方や美しさ)&トーク(興味のある話題と結びつける)で生徒たちを前に引き付けられるかが一番の基本で、大事なことだと思っています。 チョーク&トークができる教師は、自然とアクティブラーニングをやっていることになると思います。電子黒板もタブレットもその延長線上のアクセントになれば良いと思うのです。たとえば、ハマグリの解剖の写真も、教師が黒板に素敵に書くスケッチも、両方あると良いということですね。教師の業務としては、データを解析するスピードが上がりメリットは大きいですが、やはり最後はそのデータに解釈を加えることが教師力なんだと思います。
人が好き
僕は小学校のときから理科の先生になろうと思っていました。小学校のときから学校が好きで、先生になりたいというより、学校にいつもいたかったんだと思います。学校にはいろんな人がいるじゃないですか。僕、人が好きなんですよね。人が何かをやっているのがすごく気になるんです。 僕は都立高校出身で、芝での教員生活は30年ぐらいになります。この学校に来た当時は、僕の上席の先生が破天荒で滅茶苦茶な人ばかりで、それに全部応えなければならず、すごく鍛えられました(笑)。今とは全然指導法が違いましたが、その中で教科指導以上に子供の心にどう入り込んでいくかを考えさせられる毎日だったんです。 僕には教員は合っていますね。楽しいです。だから現場を離れたくなかったので、今も授業はやっているんですけどね。「校長なんですからほどほどに!」と教員にも叱られています(笑)。

学びたいときに学べばいい
子供が成長していくうえで、待つことはすごく大事です。普通、学校では定期考査があるから待てないじゃないですか。でも待つんです。悪い成績をとればいいんですよ。そのあとにしっかり考える。それぐらい割り切ることが大事です。結局子供は、無理やり動かされたものでは最後までやり切れない。「先生、俺このままじゃだめだよね」って言ってきたら「手伝うよ」と言います。待つのは難しいけれど、一緒に待ちましょうと。その代わり提出物とか遅刻とか、自分が少し努力すればできることから逃げていることについては厳しく言います。根本的に心が迷っているときは寄り添ってやらないといけませんが、日常でさぼっているときはうるさく言います。 やはり勉強や学習って自分で気づいて、自分から進んでやるものだと思いますから、学びたいときに学べばいいんです。自分がなりたいものや夢があったときに「この勉強をしないと!」と思ったら、それをやればいいんです。そう思わないのにいい点をとるために勉強するなんて意味がわからないです。
卒業生の母校を守る
僕には校長としての名誉的なものへのこだわりが全くなく、明日交代と言われたら普通の教員にいつでも戻ります。そんな僕が校長としてやることは1つで、卒業生の母校を守るということだけです。故郷としての母校が輝き続け、卒業生が自分の母校を誇りに思って生きていけるように、卒業生に恥じない教育をしていきたいと思います。 だから夢は、芝を卒業生のパワースポットにすることですね。芝の卒業生は、母校に行くとなんとなく元気になるとか。母校に行くと、放電して垢を落として、充電できる状態にできるとか。ここは昔、増上寺の墓地ですから本物のパワースポットになり得ます(笑)。でも、学校は卒業生にとってそうあるべきだと思うんです。卒業したら終わりではない。私学はそれができる場所なんです。

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